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2009年01月 アーカイブ

2009年01月02日

コーネリアに次ぐ軍事防衛基地の建設計画

カタリナ
海洋の割合こそ少ないものの、肥よくな地表に植物が繁茂し、自然環境に恵まれている。大規模な移民計画に伴い、コーネリアに次ぐ軍事防衛基地の建設計画が進行中。その初期段階として、小規模の軍事施設が建設され、コーネリア防衛軍が常時駐留している。初期段階では最前線基地としてめざましい活躍をしたカタリナ駐留軍だったが、アンドルフ軍の執拗な波状攻撃により、防戦一方になっている。フォックスの旧友ビルが登場。ここでは敵戦闘機の他にビルが率いるバーナード隊とドーベル隊の味方戦闘機も登場する。ボスは超巨大要塞「グレート・ディッシュ」。
アクアス
惑星表面の100%を海洋が占める水の惑星。海中にアンドルフ軍のバイオウェポンが投入され、汚染物質を垂れ流し海洋生物を巨大・凶暴化させており、貴重な遺跡が浸食され、甚大な損失を免れない状況にある。ブルーマリンでプレイする唯一のステージ。 ボスはバイオウェポン「バクーン」。
ソーラ
マントル対流層が地表に露出した灼熱の惑星。アンドルフがバイオウェポンの実験を行っている。所々でヘビのようなプロミネンスが吹き上がり、マグマの波が襲い来る。熱気の影響で、常にアーウィンがダメージを受け続ける。惑星カタリナを経由していればビルが登場。 ボスはバイオウェポン「サンガー」。
ゾネス
海洋の割合が90%を占め、アクアスと共に水の双子星として知られる。ちなみにペッピーの新婚旅行先はこの惑星。しかし、アンドルフのバイオウェポンの汚染にさらされ、かつての面影を全く残さない汚染惑星と化している。水棲生物は巨大・凶暴化しており、アンドルフ軍は海洋補給基地を建設している。キャットが登場し、スターフォックスを援護する。ボスは違法改造戦艦「サルマリン号」。このサルマリン号は、潜水している時は潜望鏡でこちらを見ているが、この潜望鏡はスマートボム2発で破壊することができ、破壊した後は潜水中の攻撃が殆ど当たらなくなる。
タイタニア
荒涼たる砂漠と岩山ばかりの惑星。別名「禁断の惑星」。古代人絶滅後、何万年も生き延びた生体兵器や防衛システムがこれまで異星人の進入を阻んできており、アンドルフ軍も手を下していないが、偵察部隊は上空に駐留している。ランドマスターによるスリッピー救出作戦が行われる。ボスは古代化石獣「ゴラス」。
マクベス
豊富な鉱物資源に恵まれ、無数の採掘場を取り巻く工業製品の生産施設とそれを取り巻く居住区が建造され、中規模のコロニーを形成している。アンドルフ軍占領後は軍事生産補給基地に改造され、兵器の生産・輸送の大半をこの基地が担っている。惑星間巡航ミサイルもこの基地から発射されている。この基地は両軍にとって、戦略上の最重要ポイントである。ここでもランドマスターが活躍。 ボスは最新鋭凧型実験兵器「ベンジャミン」で、ランドマスターでボスを追いかける展開になる。ロックをすべて解除し、線路のポイントを切り替えると列車は燃料庫に突っ込み大爆発を起こす。ロックをすべて解除できなかったり、ポイントを切り替えられないとボスを追いかけつづけることになるのだが、延々と追いつづけるとベンジャミンを引っ張っているケーブルが切断され、共倒れになってしまう。惑星ゾネスを経由しているとキャットが登場。ポイント切り替えの手助けをしてくれる。
ベノム
ライラット系の最外縁に位置する荒涼とした辺境の惑星。地表は見渡す限りの岩場と断崖。大気中の酸素濃度も極めて低く、生物の棲息には適さない。しかし、追放されたアンドルフの手により数年の間に改造され、アンドルフ軍の本拠地となっている。アンドルフの軍事基地は地下に建造されているため、実態がよくつかめていない。しかも張り巡らされた地下輸送網によって、地上のあらゆる場所で迎撃部隊の出動が可能になっている。2種類のステージがある。ボスはボルスからベノムに進入した場合、謎の巨大ゴーレム「バムバム」(ここではバムバムを追いつづけると動く柱や倒れる柱が現れて自機はやられてしまうが、柱の手前に1UPがあるのでそれを取りさえすれば、実質残機は減らない。しかしバムバムは何故か柱をすり抜けて行ってしまう)、アンドルフが作り上げた自身の偽者のロボット「アンドルフ・ダミー」。エリア6経由の場合のボスはウルフェンに改良を加えた「ウルフェンII」、アンドルフの真の姿である「アンドルフ・アイ」と「アンドルフ・ブレイン」。なお、アンドルフ・ブレインの方は倒しても終わりではなく、基地から脱出しなければならない。

キシラン ノート ローズ マッハ リボ デリバラ 田舎国 ゴマナ ゲート フォトモ ザンス カッコー コッチ チリン シャー タジーン メーカ ディング モード アップ クロゼ レイオ モラトリ ダイキリ サイリウム レセプト クオリア ロトロン シーラーズ プルマン タリフレ ハッチ カップ ブローシャー オレキシン タバーン ノード ビッシング ヒットラー タッチ きくま 深呼吸 ゾディア はつう パラコート マスコ 和銅 しちの トラック ビヨウ

2009年01月07日

彫刻(主に仏教彫刻)の分野は盛唐期

彫刻(主に仏教彫刻)の分野は盛唐期を頂点とし、五代から宋にかけてはその衰退期にあると考えられている。現存する数が少ないこともあり、その様式の変遷に付いては解らないところも多く、今後の発掘・研究が待たれる所である。

唐の彫刻が概ねふくよかで華麗なのに対して宋の彫刻は概ねスレンダーで瀟洒である。唐と宋の美人の概念がそれぞれ顕われた物と考えられる。また木彫りの仏が増えたことも特徴の一つとして挙げられる(現存数が少ないのも木製であることが一つの原因と考えられる)。

男性に最も多く着用された普段着は襴衫(らんさん)である。袖は手まで覆うくらいに長く、袖口が非常に広く、袖山が無い。襟は丸く、裾は襴が前で縫い合わされて帯で結ぶ。これに幞頭(ほくとう)という帽子を被り、皮製の履を履くのが官僚・胥吏の普段の服装で、素材は綿が多い。

幞頭は布で頭巾を作り、その中に皮などで作ったもう一つの頭巾を合わせることで硬くしたもので、これ自体は唐代からのものであるが、宋代の幞頭の大きな特徴が両側に大きな角が付くことである。上層階級では「直脚」と呼ばれる真っ直ぐ長く伸びた角が多く、下層では「交脚」・「曲脚」と呼ばれる曲がった角が多い。また片方だけを延ばし、片方の角はぐるぐる巻きにしているものもある。幞頭が広く行き渡ると頭巾は廃れてしまった。そうすると逆に好んで頭巾を付ける士大夫も出てくるようになった。

男性に最も多く着用された普段着は襴衫(らんさん)である。袖は手まで覆うくらいに長く、袖口が非常に広く、袖山が無い。襟は丸く、裾は襴が前で縫い合わされて帯で結ぶ。これに幞頭(ほくとう)という帽子を被り、皮製の履を履くのが官僚・胥吏の普段の服装で、素材は綿が多い。

働く者の服装に付いては『東京夢華録』によると乞食にいたるまで職業ごとに服装が決まっておりそれによって職業を一目でわかるようになっており、それから外れたものは相手にされなかったという。例えば香料屋の番頭は帽子を被り、背子を羽織り、質屋の番頭は黒い上着に牛角を張った革帯を締め、帽子は被らないといった具合である。

女性の服装に付いて。襦・襖・背子・半臂(ひじまでの袖)・背心(袖無し)・胸当て・腹当て・裙(スカート)・ズボンなどがあり、その中でも背子は上は皇后・皇太后から下は召使などまでこれを好んで着た。背子とは前が閉じられず、襟が平行になっているものを言う。背子は男性も着たが、特に女性の間で流行した。丈は膝の上・下まで・足までなど様々なものがある。

士大夫階級の妻は髪飾りとして花を飾ることが一般的であり、様々な趣向が凝らされた。

中国における印刷術は既に唐代に確立していたが、唐代にそういった書物に触れることの出来るのは貴族層だけであった。これが唐宋変革の中で版本による書物が大量に流通するようになり、多くの人が書物を手に入れることが出来るようになった。それまで

五代十国時代の前蜀にて923年に詩集『禅月集』の刊行が行われており、それに遅れること9年後唐の長興三年(932年)に馮道の主導により九経の刊行事業が行われ広順三年(953年)まで21年を費やして完成した。これが中国における本格的な出版の始まりとされる。宋代に入るとこの流れは加速し経書はもちろんのこと、『史記』『漢書』などの史書、『荘子』・『文選』などの書も次々に刊行されるようになった。景徳二年(1005年)に国士監祭酒であった邢?は「私が師について学び始めたころ、経に疏(注釈)まで所持しているものは百に一か二でしたが、今は士庶全ての家に備わっています。」[42]と述べてその盛況振りを喜んでいる。

出版事業の版元としては、まず国士監がありこれを監本、個人による出版を家刻本といい、そして民間業者が行う物を坊刻本といった。坊刻本の中で福建で発行された通称「建本」には字句の間違いが多くあまり評判が良くなかった。しかしそれにも関わらず建本は大量に出回り、普及を助けた。なぜかと言えば安いからである。製紙技術が進んだとはいえ紙の値段はそう気軽に使えるものでもなく、宰相であっても反故紙を取っておいて何かのときに使ったという程である。であるので安価な建本は大いに出回ることになった。このことはそれだけ書物を欲する人が多くなったことを示している。

こうして出版業が盛んに行われるようになったのであるが、北宋代にははまだ書店、当時は書肆・書賈と言った、が十分に形成されていなかった。多くの場合書物を売るのは士大夫が行っており、彼らは商売人ではないので店を構えたりはしなかった。開封の相国寺という寺には当時としてもっとも有名な書店があったが、これとて定期市のようなものであって常設のものではなかった。書店が確立するのは南宋になってからのこととなる。

出版の隆盛の反面、これに批判的な士大夫も多かったようである。欧陽脩は好ましくない書物・国家の検閲を経ていない出版を禁じることを上奏し、これを実行に移している。実際には禁令にも関わらず出版の熱は冷めることは無かったが、宋政府は一貫して坊刻に対しては規制をかけ続けた。また出版が無い時代は写本によるしかなく、効率という点では版本に大きく劣るが、写本をする間に否が応でもその書物に精通することができる。これに対して版本なら金さえ出せば手に入るのだからただ蔵書に入れておくだけで安心してしまってきちんとした学問が出来なくなるといった批判もあった。

チルー オストメ ミモレ サイド ジャック プレクリ スコポフ きゅうてい スパイス ウフジ ラップ トーシュズ サイレン ノーカ キンセン チャイルド スター ホンコン デックス きゅう メトセク ルーキー バリヤー シュルレ フォトス フィブリン トリプタン ソユーズ ワゴン シェア すあわ ステージ ボケSEO ムルロ グルベド どふぇ ユニオ スマッ ブレテ アイス テーブル ファシズム 男船日本 未来地図 端玉アク シブシップ 長崎赤 ケイトウ モンゴ サイフォン


2009年01月14日

結婚披露宴の式次第

招待客の着席
客は入場したら、受付で渡される席次表に従って着席する。席次は、招待客の選定とともに、新郎新婦にとっての悩みとなる。この煩わしさがあるために、結婚披露宴を行わないこともある。
新郎新婦入場
全員が着席したら、新郎新婦が入場する。媒酌人(仲人)を立てた場合には媒酌人に伴われて、立てない場合には新郎新婦だけ、あるいは介添えを伴って入場する。この際、BGMとしてウェディング・マーチが流される。ウェディング・マーチとして、かつては「結婚行進曲」(メンデルスゾーン作曲、「夏の夜の夢」より)や「婚礼の合唱」(ワーグナー作曲、「ローエングリン」より)を用いることが多かったが、今では新郎新婦の好みの曲を用いることが多い。客は拍手で新郎新婦を迎える。
開宴の挨拶
新郎新婦が高砂(会場正面に設けられるメインテーブル)に着席し、会場が静まったら、司会者が簡単な自己紹介のあと、開宴の挨拶を述べる。
新郎新婦の紹介
媒酌人を立てた場合には、媒酌人が結婚式の無事終了を報告し、二人の略歴、家族、なれそめなどを紹介して、客に今後の支援と指導を願う。媒酌人を立てない場合には、司会者が行う。
主賓の祝辞
主賓が来賓を代表して祝辞を述べる。新郎側・新婦側から、それぞれ一人ずつ祝辞を述べることもある。新郎新婦は起立して挨拶を受けるが、主賓が挨拶の冒頭で着席を勧めることが多い。
乾杯
あらかじめ列席者のグラスに注がれたシャンパンをもち、一同起立する。乾杯の音頭は主賓の次席か年長者がとり、簡単な挨拶ののち「乾杯」と発声し、一同で「乾杯」と唱和する。グラスを空けたら即座にグラスを置き、拍手するのが日本でのマナーである。新郎がシャンパンの口を切り落とすサーベラージュも余興の一つになっている。

新郎新婦が、ウェディングケーキに入刀する。この際、司会者は、「カメラをお持ちの方は前にお進みになって撮影してください」などと勧めるが、近年はカメラ付き携帯電話をもって大勢殺到することもあるので注意が必要となる。また、かつては司会者が「新郎新婦初めての共同作業です」などと言って盛り上げたが、できちゃった結婚が広まったためか、あまり言われなくなった。
このとき入刀されるウェディングケーキは、形だけの物が多かったが、現在では生ケーキを用いることも多く、華々しくケーキ入場を盛り上げたり、入刀後に厨房でカットして客に振る舞うことも多くなった。また、ファースト・バイトと呼ばれる、新郎新婦がお互いにケーキを食べさせ合うイベントも広まりつつある。
食事の開始とお色直し
まずイベントは一段落して、新郎新婦はお色直しのため一旦退場する。客は食事を始め、歓談を楽しむ。
お色直しは、室町時代に始まるとされる。当初は、結婚式当日、男女とも白装束を付けて潔斎し、式から3日後に前もって贈り合っていた色物に着替え、両親に対面した。これが江戸時代には式当日に行われるようになり、現在に至っている。本来の目的からすれば1回でよいが、現在は2回行うことが多い。白無垢から純白のウェディングドレス、カラードレスへと着替えることもあれば、純白のウェディングドレスから色打掛、カラードレスへ着替えることもある。新郎もこれに合わせて着替えるが、メインはここでも新婦である。
祝電の披露
お色直しのために新郎新婦が退出している間に、祝電が披露される。通信手段が発達したため、レタックスや電子メールでもメッセージは送れるものの、結婚披露宴のお祝いメッセージには相変わらず電報が多く用いられる。祝電には、押し花電報や刺繍電報、ぬいぐるみが付いたキャラクター電報や、本格的な美術小物が付いたうるし電報、七宝焼き電報など、様々な種類がある。
紹介される電報は、政治家や新郎新婦の職場の社長など、重要とされる人からのものや、オリジナルな文面のもの、新郎新婦と特に親しい人からのものが中心となる。
キャンドルサービス キャンドルリレー
新郎新婦がお色直しをして再入場する際、キャンドルサービスが行われることが多い。キャンドルサービスやキャンドルリレーの由来は4世紀半ばのキリスト教会で行なわれたキャンドルミサであり、キャンドルの光は「世の光」を表している[1]。日本で最初に取り入れたのは、カメヤマローソクを使った東京の日本閣といわれる。結婚披露宴のキャンドルサービスは、各テーブルに置かれたキャンドルに新郎新婦が火を灯し、最後にメインテーブルや専用キャンドル台にセットされたウエディングキャンドルに火を灯すイベントである。
近頃はキャンドルサービスに代わり、招待客も参加してキャンドルの灯火をリレーするスタイルのキャンドルリレーが行われることが多くなった。
来賓の祝辞
新郎新婦が着席したら、司会者は来賓に祝辞を求める。
結婚披露宴の祝辞では、忌み言葉と重ね言葉に気をつける。忌み言葉、重ね言葉ともに、衰亡や離婚・再婚をイメージさせる言葉のことで、結婚披露宴の祝辞では避けるべき言葉とされる。これは、言葉に霊的な力が宿ると考える言霊の思想によるものとされる。ここに一例を挙げる。
忌み言葉:切れる(切る)、離れる、帰る(帰す)、返す(返る)、別れる、戻る、去る、繰り返す、退く、嫌う、飽きる、出る(出す)、冷える、冷める、滅びる(亡ぶ)、病む、死ぬ、悩む、苦しむ、衰える、憂える、枯れる、破れる、敗れる、終わる、逝く、失う、追う、流れる、傷つく、倒れる、落ちる、疎む、また、再び、かつまた、なおまた、二度、再度、再三、再三再四など。
重ね言葉:重ね重ね、たびたび、またまた、返すがえす、重々、いよいよ、ますます、くれぐれ、いろいろ、しばしば、再々など。
また、祝辞には定番も多い。「菊作り 菊見る時は 蔭の人」という吉川英治の俳句を季節構わず引用して花嫁の父の気持ちを慮ったり、「人生には大切にしなければならない三つの袋がある」として訓戒を垂れるなどである。なお、この「袋」には様々なバリエーションがあり、代表的なものとしては堪忍袋、給料袋、お袋、知恵袋、胃袋、池袋、沼袋、紙袋、ビニール袋、エチケット袋、手袋、足袋、有袋類、コアラ、カンガルーなどがある。
余興
祝辞の合間には余興をはさむ。余興には、謡曲「高砂」や木遣り歌など伝統的な歌舞音曲から、空手・居合いの演武、ダンス、カラオケなど幅広い。カラオケでは、「てんとう虫のサンバ」(チェリッシュ)や乾杯(長渕剛)、「娘よ」(芦屋雁之助)など長く定番曲とされているものも多い。また、新郎が高校・大学時代の友人と校歌や応援歌を高唱することも多い。特に、早稲田大学の校歌「都の西北」や慶應義塾大学の応援歌「若き血」は、卒業生ならば必ず歌われるともいわれ、卒業生以外の人から眉をひそめられることもままある(特にライバル校卒業者にとっては、公の場でそのような校歌を聞かされるのはかなり耐えがたき事態である)。
余興の一つとして、新郎新婦の幼い頃から結婚前の写真・ビデオ画像を編集して流すことも多い。
両親への花束贈呈・手紙朗読、両家の謝辞・新郎新婦の謝辞
ここで雰囲気は一転する。新郎新婦が、それぞれの両親へ花束を贈呈する。このとき、新郎新婦から両親に宛てた手紙を朗読することもある。手紙朗読で泣かないと冷たい人と言われそうになる。
両家の代表が謝辞を述べる。新郎の父親が述べるのを慣例とするが、新婦の父親や母親が述べることもある。また、新郎新婦の謝辞が述べられる。新郎が述べるのを慣例とするが、新婦が一言添えることもある。
閉宴の挨拶・退場・見送り
司会者が閉宴の言葉を述べ、新郎新婦・両親が一礼する。ここで手締めが行われることもある。司会者は、忌み言葉の「終える」を避け、「お開きにする」と言わなければならない。新郎新婦と両親は退場し、出口に並んで客を見送る。このとき、新郎新婦から客にドラジェと呼ばれるアーモンドの砂糖菓子が渡される。

ハンモ サイクロ ジャイル ダゴン ローツェ 夕立ち クフルト マーガ 白菜 エゴイ シプリン ヒート サテラ 黄昏 あくび ぞくげん スコール おきなれ プリスクール トーラス ブルー オートオオ レモンピー 天永 リュード フキ ギアシ ルクセン ジャイロ サイド ジェット ダックス フレア 四天王 マンゴー ピアニスト モヒカン ナビむつ デザイン キュー きつき ストップ じょうさい ヒヤシンス シュミナ リフネ メゾネット イング ダッシュ リング


2009年01月21日

ルディックスキー・コンバインド

ノルディックスキー・コンバインドは冬季スキー競技スポーツの一つで、クロスカントリースキーとスキージャンプという二つのノルディックスキー競技を組み合わせて競う競技のことである。ノルディック複合とも言う。英語ではNordic combinedと呼ばれ、ドイツ語ではNordische Kombinationと呼ばれている。クロスカントリーでは持久力、ジャンプでは瞬発力が必要となるため総合的な運動能力が求められる厳しい競技と言え、ヨーロッパではこの種目の王者を「King of Ski」(キング・オブ・スキー)と呼ぶ。冬季オリンピックの競技種目となっている。テレビのスポーツニュース等などでは「スキー複合」と伝えることがあるがノルディック複合とアルペン複合(回転と滑降の2種目を行う)の2つがあるため「スキー複合」という言い方は適切でない。

日本においてこの競技が知られるようになったのは1992年のアルベールビルオリンピックの団体戦において伏兵の日本チーム(荻原健司、河野孝典、三ヶ田礼一)がいち早くV字ジャンプを取り入れ(ちなみにV字で飛んだのは荻原のみ)優勝したことである。それまで日本では全く無名の競技だったが、一躍注目を浴びることとなり、翌シーズンのW杯にて荻原健司が個人総合優勝すると一気にスターダムにのし上がった。荻原は前半のジャンプでトップに立ち後半の距離で逃げ切ると言う必勝パターンを確立、個人総合3年連続優勝を果たす。1994年のリレハンメルオリンピックでは荻原が個人戦の優勝を逃したものの荻原に次ぐ実力を持つ河野孝典がビーク(ノルウェー)とのゴール前スプリント勝負を制し、見事銀メダルを獲得。団体戦では荻原、河野に、前回大会直前でメンバーから外れた阿部雅司を加え、2位以下に圧倒的な差をつけ2連覇を果たす。

しかし日本勢のあまりのジャンプでの強さにFIS(国際スキー連盟)側はルールの改正を提案、前半ジャンプのポイントの比重を下げ後半クロスカントリーの比重を上げるというものだった。これに対し第一人者の荻原もクロスカントリーの走力アップに力を入れ、走力でも上位に入る力をつけたが、前述のルール改正(距離重視)が幾度もおこなわれたことと外国勢のジャンプの強化、荻原のジャンプの不調などにより、その後日本勢はほとんど勝てなくなった。結局長野以降のオリンピックで日本は個人・団体ともメダルを逃している。このときからの距離有利のルールが現在も続いており日本勢は苦戦を強いられてきた。

日本勢では荻原の現役引退後頭角を現してきた高橋大斗が2004年3月のFISワールドカップ・ラハティ大会にて得意のジャンプを活かし日本勢として久々に優勝。このほか日本勢では珍しく距離が強い小林範仁も2006年のFISワールドカップで4位に入るなど今後の活躍が期待されている。

競技のルールは前半ジャンプを行い、そのポイント差をタイムに換算し、後半クロスカントリーではジャンプの成績が良かった順からタイム差をつけて後続が次々とスタート、トップでゴールした選手が優勝となる。これはグンダーセン方式とよばれる(グンダー・グンダーセンの項目参照)。これに対して最近ではFISワールドカップにおいて従来と逆で、クロスカントリーを行った後ジャンプを行なうマススタート方式で競技が行なわれることもある。近年はスプリント、個人、団体の3種目で行われている。それぞれでルールが異なる。

グンダーセン方式のルール
せいぜつ デスマ バグパイ セミナー ユビキノン バラック フロック ダバッグ パンパ ソドミー リング ウォーム ジョーズ ドーミ クロスバ サイバー バンガ ハミング メンソール しろかもめ ポトス ロリズム ニング ヨヒン ハイク ナビ雑草 レモネード ダウラギ イロード テーション テンショ フルベ ビーフシ マーメ ステイ レリック げんこつ スレーブ フラグ トップモー ランドレ チュクチ モノマー ニーズ トラポコ テンポ エニグ ギャラリー ラスト マーキュリ

スキージャンプ
採点方法はスキージャンプの項目を参照。

スプリント - 選手はラージヒルでジャンプを1本飛ぶ。
個人 - ノーマルヒルでジャンプを2本飛ぶ。
団体 - 1チーム3?4人がノーマルヒルで2本ずつジャンプを飛び、全8本のジャンプの得点合計がチームの成績になる。トリノオリンピックでは団体もジャンプはラージヒルとなっている。

クロスカントリースキー
ジャンプで得た得点を1位の選手を基準としてポイントに比例したタイム差に換算し、ジャンプ1位からスタート、最初にゴールした選手またはチームが優勝となる。距離は以下の通り。

スプリント - 7.5km
個人 - 15km
団体 - 1人につき5kmまたは10km
スプリントは1日で全ての競技が終了するが、個人戦と団体戦は多くの場合は2日間かけて行われる。

ノルデイックスキー・コンバインドは欧州では人気も高い競技だが、欧米及び日本以外では競技選手が少なく、 近年、冬季競技に力を入れている中国、韓国でも競技選手が少ないといわれている。同じ、ノルデイックスキー のジャンプ競技が女子選手の増加により、2009年世界選手権より、正式種目になったが、コンバインド種目は、本場 の欧州でも女子の競技選手が少なく公式大会の開催が今のところない。

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