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彫刻(主に仏教彫刻)の分野は盛唐期

彫刻(主に仏教彫刻)の分野は盛唐期を頂点とし、五代から宋にかけてはその衰退期にあると考えられている。現存する数が少ないこともあり、その様式の変遷に付いては解らないところも多く、今後の発掘・研究が待たれる所である。

唐の彫刻が概ねふくよかで華麗なのに対して宋の彫刻は概ねスレンダーで瀟洒である。唐と宋の美人の概念がそれぞれ顕われた物と考えられる。また木彫りの仏が増えたことも特徴の一つとして挙げられる(現存数が少ないのも木製であることが一つの原因と考えられる)。

男性に最も多く着用された普段着は襴衫(らんさん)である。袖は手まで覆うくらいに長く、袖口が非常に広く、袖山が無い。襟は丸く、裾は襴が前で縫い合わされて帯で結ぶ。これに幞頭(ほくとう)という帽子を被り、皮製の履を履くのが官僚・胥吏の普段の服装で、素材は綿が多い。

幞頭は布で頭巾を作り、その中に皮などで作ったもう一つの頭巾を合わせることで硬くしたもので、これ自体は唐代からのものであるが、宋代の幞頭の大きな特徴が両側に大きな角が付くことである。上層階級では「直脚」と呼ばれる真っ直ぐ長く伸びた角が多く、下層では「交脚」・「曲脚」と呼ばれる曲がった角が多い。また片方だけを延ばし、片方の角はぐるぐる巻きにしているものもある。幞頭が広く行き渡ると頭巾は廃れてしまった。そうすると逆に好んで頭巾を付ける士大夫も出てくるようになった。

男性に最も多く着用された普段着は襴衫(らんさん)である。袖は手まで覆うくらいに長く、袖口が非常に広く、袖山が無い。襟は丸く、裾は襴が前で縫い合わされて帯で結ぶ。これに幞頭(ほくとう)という帽子を被り、皮製の履を履くのが官僚・胥吏の普段の服装で、素材は綿が多い。

働く者の服装に付いては『東京夢華録』によると乞食にいたるまで職業ごとに服装が決まっておりそれによって職業を一目でわかるようになっており、それから外れたものは相手にされなかったという。例えば香料屋の番頭は帽子を被り、背子を羽織り、質屋の番頭は黒い上着に牛角を張った革帯を締め、帽子は被らないといった具合である。

女性の服装に付いて。襦・襖・背子・半臂(ひじまでの袖)・背心(袖無し)・胸当て・腹当て・裙(スカート)・ズボンなどがあり、その中でも背子は上は皇后・皇太后から下は召使などまでこれを好んで着た。背子とは前が閉じられず、襟が平行になっているものを言う。背子は男性も着たが、特に女性の間で流行した。丈は膝の上・下まで・足までなど様々なものがある。

士大夫階級の妻は髪飾りとして花を飾ることが一般的であり、様々な趣向が凝らされた。

中国における印刷術は既に唐代に確立していたが、唐代にそういった書物に触れることの出来るのは貴族層だけであった。これが唐宋変革の中で版本による書物が大量に流通するようになり、多くの人が書物を手に入れることが出来るようになった。それまで

五代十国時代の前蜀にて923年に詩集『禅月集』の刊行が行われており、それに遅れること9年後唐の長興三年(932年)に馮道の主導により九経の刊行事業が行われ広順三年(953年)まで21年を費やして完成した。これが中国における本格的な出版の始まりとされる。宋代に入るとこの流れは加速し経書はもちろんのこと、『史記』『漢書』などの史書、『荘子』・『文選』などの書も次々に刊行されるようになった。景徳二年(1005年)に国士監祭酒であった邢?は「私が師について学び始めたころ、経に疏(注釈)まで所持しているものは百に一か二でしたが、今は士庶全ての家に備わっています。」[42]と述べてその盛況振りを喜んでいる。

出版事業の版元としては、まず国士監がありこれを監本、個人による出版を家刻本といい、そして民間業者が行う物を坊刻本といった。坊刻本の中で福建で発行された通称「建本」には字句の間違いが多くあまり評判が良くなかった。しかしそれにも関わらず建本は大量に出回り、普及を助けた。なぜかと言えば安いからである。製紙技術が進んだとはいえ紙の値段はそう気軽に使えるものでもなく、宰相であっても反故紙を取っておいて何かのときに使ったという程である。であるので安価な建本は大いに出回ることになった。このことはそれだけ書物を欲する人が多くなったことを示している。

こうして出版業が盛んに行われるようになったのであるが、北宋代にははまだ書店、当時は書肆・書賈と言った、が十分に形成されていなかった。多くの場合書物を売るのは士大夫が行っており、彼らは商売人ではないので店を構えたりはしなかった。開封の相国寺という寺には当時としてもっとも有名な書店があったが、これとて定期市のようなものであって常設のものではなかった。書店が確立するのは南宋になってからのこととなる。

出版の隆盛の反面、これに批判的な士大夫も多かったようである。欧陽脩は好ましくない書物・国家の検閲を経ていない出版を禁じることを上奏し、これを実行に移している。実際には禁令にも関わらず出版の熱は冷めることは無かったが、宋政府は一貫して坊刻に対しては規制をかけ続けた。また出版が無い時代は写本によるしかなく、効率という点では版本に大きく劣るが、写本をする間に否が応でもその書物に精通することができる。これに対して版本なら金さえ出せば手に入るのだからただ蔵書に入れておくだけで安心してしまってきちんとした学問が出来なくなるといった批判もあった。

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2009年01月07日 07:45に投稿されたエントリーのページです。

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