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北朝鮮核実験とその波紋

2006年10月に北朝鮮は予告していた核実験を強行した。事前の中国への通告では「4kt(広島は20kt)の放射能漏洩のない核実験を行う」と言う通告であったが、各国の計測によれ核爆発の規模は0.8ktであった。通常の示威的核実験に比べるとあまりにも小さい爆発力であったので「核実験ではなく爆薬だったのではないか?」「過早爆発で失敗した?」「4ktという事前通知なので一足飛びにミサイル用ミニニュークの実験に挑んだのではないか?過早爆発は事実だろうが設計4ktで実出力0.8ktなら部分的成功」など様々な憶測を呼んだ。
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米国国連大使ジョン・ボルトン等は安保理で北朝鮮武力制裁決議を提出したが、中国・ロシアの反対で可決しなかった。米国は核兵器の移転を防ぐため日本と共同で北朝鮮に入出航する船舶の臨検をしようとしたが、日本の法律では海上自衛隊は「公海臨検で停船命令は出来ず、停船依頼を無視されても危害射撃はできない」という法整備の遅れが露見して臨検の話は急速に萎んでいった。当時の日本の首相安倍晋三は就任早々訪中・訪韓して善後策を協議したが、当時の韓国大統領盧武鉉は親朝的な太陽政策の推進者であったため、危急の折であったにもかかわらず日韓歴史認識問題に話題を限定して北朝鮮核実験善後策協議を拒否した。 米国防総省は核実験直後に、トマホーク巡航ミサイルで寧辺再処理施設を破壊する案をブッシュ大統領に提案したが採用されなかった。 尚、北朝鮮は2005年に50MW黒鉛炉(寧辺)200MW黒鉛炉(秦川)の建設再開を各国に通知したが、核実験後、米国で核施設攻撃破壊論が浮上したため建設を再度中断している。

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2009年09月29日 01:12に投稿されたエントリーのページです。

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