社会は普通、人々は自己の行為に責任を負っており、各人が何をするかに応じて賞賛や非難を受けると言うであろう。ところで、多くの人々は、道徳的責任は自由意志を前提とすると信じている。そこで、自由意志に関する論争におけるもうひとつの重要な論点は、各人は自己の行為に道徳的な責任を追うのか、そして、もし負うとすればどのような意味で負うのかという問いである。
非両立主義は、決定論は道徳的責任と相性が悪いと考える傾向にある。人が、時間の流れの初めから予見されえる(あるいは予見される潜在的な可能性がある)行為に対して責任を負うということは、不可能に思われる。固い決定論は、「これほど自由意志にとって不利なことはない」と言い、決定論を擁護して、自由意志の概念を放棄する。著名な弁護士であるクラレンス・ダロウは、彼の依頼人であるレオポルドとローブの無罪を主張するにあたって、このような固い決定論の観念を引き合いに出す。
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反対に、自由肯定論者は、「これほど決定論者にとって不利なことはない」と言う。サルトルは、人々は時々、有罪および有責性を決定論を隠れ蓑にして避けようとすると論じる。「我々は常に、この自由が私たちにのしかかるとき、あるいは、私たちが免責を必要とするとき、決定論という信念の中に逃げ込む」。自由肯定論者は、決定されていない行為は完全にランダムなのではなく、それらは、その判断をまだ定められていないところの実体的な意志に由来すると反論する。